2009年10月04日

阪神大震災の頃

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 記念すべき(?)「鉄道雑記帳」の第一回です。
 普段、あまり鉄道雑誌の類は買わないのですが、「鉄道ジャーナル」の10月号に阪神大震災時のバス代行輸送に関する記事があったので、興味深くて思わず購入しました。

 震災時、私は関西に住んでいました。寝ている際に突如激しい揺れに襲われ、飛び起きた記憶は今でも鮮明にあります。幸い自宅はほとんど被害はなかったのですが、近所の古い家は壁が崩れたり瓦がずれるなどしていました。
 しかし、テレビで伝えられる被災地の惨状はもっと深刻でした。普段通学で利用していた路線も被災し、震災以降長期間運休する事態となりました。最も大きい被害を受けたのは阪神電鉄で、線路の崩壊ばかりか、多数の車両が廃車となる事態になりました。写真の阪神8000系が石屋川車庫の倒壊に巻き込まれ、多数横転している映像は衝撃的でした。
 そんな状況なので学校もしばらくは休校になったのですが、2月には再開されました。そのため、鉄道の復旧までは路線バスや代替バスのお世話になりながら通学したものです。代替バスには関西の様々なバス会社からバスが寄せ集められていて、例えば阪急の代替バスには丹後海陸交通の観光バスがよく入っていました。
 震災直後は壊滅状態だった神戸市内の鉄道も、1ヶ月ほど経つと阪神は御影、JRは住吉まで電車が通じるようになりました。また、神戸市中心部も案外鉄道の復旧は早く、阪神は岩屋、JRは灘より西が復旧していました。
 また、阪急の御影〜王子公園間も復旧しており、JR住吉と阪急御影、王子公園とJR灘の間を徒歩連絡とすることで、一応鉄道のみで阪神間を行き来できるようになりました。この頃、用があって一度大阪から三宮まで行ったことがあります。三宮などの市街地は瓦礫の撤去が進んでいましたが、駅から離れると倒壊した家屋がそのまま放置されている、そんな時期でした。
 その後4月1日にJR神戸線が全線復旧しました。その日もたまたま大阪から三宮まで乗車したのですが、これほど早く三宮までたどり着けるのかと感動すら覚えたものです。その後、6月12日の阪急神戸線全線復旧の際も、乗車しに行ったのを覚えています。これら一連の震災による鉄道網の寸断を通じて、鉄道の有難みを強く実感させられました。

 これを雑誌の記事に書いてあったことなのですが、もし仮に同規模のバス代行輸送を今行うことになったら、本当に対応できるのかと思ってしまいます。規制緩和やクルマとの競合により、大手バス会社の貸切部門が衰退し切っているからです。関西よりも人口の集積が激しい首都圏に関して考えると、なおさら心配になります。
 阪神大震災をきっかけに鉄道施設の耐震化が進められていますが、それが奏功することを願いたいものです。
posted by rail20000 at 18:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 鉄道(関西)
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